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編み物で6万稼ぐことは当時の私には至難の業でしたので、とりあえず週3のデータ入力の派遣でその分を賄うことにしました。六本木ミッドタウンの高層ビルで働いていましたが、完全につなぎの仕事でしたので、都会で働くということをそれなりに楽しんでやりました。
編み物教室に通いながらも、この6万円を編み物だけでどうやって達成するか真剣に考える日々が続きます。「編んだ作品の販売をする」が私の最初に考えた稼ぎ方でした。その頃、個人のハンドメイドの作品を販売する大きなイベントやネットショップのシステムはまだなく、小さなギャラリーで個人が集まって展示会を開催したり、レンタルボックスでの販売が主でした。試しに小さなポーチやアクセサリーを作ってそういった場所で販売してはみますが、もちろん大して売れません。
どうしたらいいか模索中の折、夫の関西方面への転勤が決定。2年住んだ神奈川から京都へ移動することになりました。夫の仕事上、またいつ移動になるかわからない不安定な形でしたので、とりあえず京都では私は好きなことをしてもよし、という話になりました。まずその頃興味のあった紡ぎを習おうということで、1年間紡ぎの教室に通いました。当時はその紡いだ糸で帽子を編んだり、染色したりと羊仕事を一通りはやりましたが、紡ぎをやっていると編む時間が無くなることは理解しました。もちろん6万円チャレンジは続いており、色々なイベントに参加しては作った作品の販売を試みていましたが、やればやるほどその難しさに気がつくばかり。とはいえ、他の稼ぐ手段も見出せず、完全に手詰まりな状態でした。そんな模索中のある時、海外の糸を扱っている素敵な毛糸屋があるよ!と友人から大阪にあるroom amieを紹介してもらいました。そこで出会った糸と店主の菊森さんが私の人生を変えるキッカケにつながります。
まだ編み物教室に通っていた頃、自分サイズで着たくてデザインした丸ヨーク型のベストがあったのですが、京都に引っ越してからようやくRavelryにその情報をアップしたところ、アメリカ人のSaraにお嫁に行く娘のために編みたいんだけどパターンは作らないのかという嬉しいメッセージを頂きました。その出来事が念頭にありつつroom amieに行った私は、素晴らしい糸たちを目の前にして、この糸で編みなおしてパターンを書いてみたらどうだろうと思いつきます。また、菊森さんのご好意でパターンができた暁には、キット組みもしてもらえるという話になりました。 まずはやったことのないパターン書きからです。サイズ展開の技術はまだありませんでしたので、とりあえず編んだ行為そのままを書くことにしました。 編み図を作れるようなPCのソフトは持っていませんでしたし、それにSaraのためにも文章で書かなければ。ということで、英語パターンとそれを翻訳した日本語文章パターンを作ることにしました。 当時はRavelryでデザイナー登録をするにはシステム担当者に直接要望メールを出さないといけませんでしたし、英語が大してできないのに、英語パターンも書かないといけません。最後、Saraには無料でパターンをあげるかわりに校正してもらうことになり、そこは一安心。とにかく毎日必死に英語と格闘し、Dot Yoke Sweaterという名前で無事パターンは完成したものの、次はパターンをアップロードするのになぜかうまくいかず四苦八苦。昔はRavelryもまだまだ発展途上だったのだと思います。今日やり遂げるぞ!と意気込んで始めたアップロード作業を完了したのは深夜2時でした。 ヘトヘトになってお風呂に入り、PCを確認するとなんともう3つもパターンが売れていたんです。夜中に小躍りした覚えがあります。 2010年2月3日。これが私のデザイナーデビューの日となりました。