2026年5月22日 12時59分までにいただいたご注文は、発送が完了いたしました。
初めてのパターンを書き上げたあとは、自分でHPを作ってキットを売るという作業に取り掛かりました。 当時はHPをhtmlの知識なくMacを使っていい感じに作る、それもショッピング機能もつけてとなると、かなり難しく、そのことをやり遂げるだけで一苦労。でも、この時のがむしゃらに自分で本やネットで調べあげて自分のサイトを立ち上げたことが、後々の仕事につながった気がします。
Dot Yoke Sweaterを作り上げて初めて、編み物の仕事というものに手応えを感じましたので、作品を売ることはきっぱりと辞め、デザインの仕事とそれを教える仕事の二本立てはどうかなと考えました。 教える仕事については以前からぼんやりと考えてはいましたが、なんせ移動の多い人生を送っていましたし、何を教えたらいいのかも明確ではありませんでした。 が、自分のパターンを作ったことで、自分の作品を汎用性のあるものに変えられることがわかり、これを元にWSを行うことにしたのです。
家の近くにWSを単発でやれそうな場所があり、そこで月1回やってみましょうかとオーナーさんと打ち合わせもし、残りの時間は派遣で事務をやって6万円を達成しようと準備を開始した矢先に、夫の神奈川転勤が決まります。京都に来て半年経った頃でした。
自分のデザインをRavelryで発表することを続けながら、気持ちも新たに引っ越した神奈川で教室を始めることにしました。
もちろん当時は知名度なんてありませんので、手芸団体が主催するWSの講師をやったり、カフェで単発WSをやってみたりと、試行錯誤しながら講師業をやっていました。 今でも覚えているのが、雇われ講師をしていた頃、経費を切り詰めるために毎回自分でお弁当を作っていたこと。食べるところも買えるところもたくさんある大都会に行っていたのに、自分で作ったお弁当を持って行っていたんですよね。自分のことながら、感心します。当時は利益6万円を達成するのに必死でした。
ここから講師業としての時系列が私の中で曖昧なのですが、場所の確保に毎回頭を悩ませていました。おそらく東京店の移転も数えると8から9箇所を教室を移動してきたはずです。そのため、もうレンタルスペースを借りなくてよくなった瞬間は、とにかく嬉しかったことを思い出します。
神奈川のカフェで教室をやっていた頃に、東日本大震災が起こります。震災の後、編み物で何かできないかと思い、講師や制作のボランティアをいくつかやっていたのですが、震災の少し前にRavelryで友達になっていたメリさんから、初めてのRavelryメッセージが届きます。 「震災のボランティアで講師をやってほしいのですが、ご興味がありますか?」と。